この世で絶対にあり得ないモノ

それは『この世で一番おもしろい』と形容するモノ。

何をおもしろいモノだと感じるかは人それぞれ。
すべての人がおもしろいと感じ事はほぼ不可能であり、しかも、前提条件によってその結果は大きく異なる。
例えば、コメディを期待した人がドキュメンタリーを読んで『おもしろい』とはなかなか感じないだろう。
期待したモノからは外れる『期待はずれ』が起こるからだ。
だから、そういう意味も含んで『この世で一番おもしろい』モノなど存在はしない。
そう思っているからこそ、『この世で一番おもしろい小説』などと言われれば、少なからず興味がわくというモノだ。

想像力の乏しいおいらにはおよそ想像も付かない。
おいら的には他人が作るモノはすべておもしろいモノに映ってしまう。
そう考えると、例えばだが、猫が小説を書いたらどんなモノが出来るのだろうか?
猫の視点、猫の言葉で書かれたモノはどんなおもしろいことが書かれるのだろうか?
もちろん、猫語で書かれてさっぱり読めないという落ちは考えられるが、それはともかく視点が変わるだけでおもしろいに違いない。
だったら、いっそのこと人間とはまるっきり正反対の存在である機械に書かせたらどんなモノができあがるのだろうか?
機械そのものは、もちろん『意思』というモノは持っていない。
いや、もしかしたら持っているのかもしれないが、それを感じる能力はおいらには備わっていないのでここはないものとする。
そう考えると、ひょっとすると機械が書いたモノが一番『おもしろい』モノなのではないだろうか?

太古の昔から人間は『機械に命を与える』事を夢見ている。
手塚治虫の『鉄腕アトム』を筆頭に機械という意思を持たないモノに『意思』という命を与えることを人間は目指してきた。
そして、AIという技術により、機械に『意思』を模した力を与えることが出来るようになってきた。
いつか、それほど遠くない未来に機械は『意思』というモノを持つモノが現れるかもしれない。

でも…ですよ。
それは本当に機械の『意思』なんでしょうか。
人間が持っている『意思』と同じモノを機械に与えても、それは機械の『意思』ではないのではないのだろうか?
そもそも、機械に『意思』を与えようとしているのは人間の『エゴ』なだけなのではないのだろうか?
考えれば考えるだけ、堂々巡りで答えなんて永久に出てこないような気がします。

メディアワークス文庫『小説家の作り方』野﨑まど:著
メディアワークス文庫『小説家の作り方』野﨑まど:著

さて、おいらの戯言が長くなりましたが、『この世で一番おもしろい小説』のアイディアを思いついたと言う読者ファンから『小説の書き方を教えてください』という懇願を受けた若手小説家の奮闘を描いた物語が『野﨑まど』著『メディアワークス文庫 | 小説家の作り方』です。
結局、『この世で一番おもしろい小説』のアイディアの内容については全く出てきませんが、きっと、この奮闘記そのものが『この世で一番おもしろい小説』なんだと言うことなのではないのでしょうか。